ここにも愛が溢れている
昨日の26日水曜日、稽古場は板宿の立正寺だった。中山住職のご好意で、度々無理を言っている。また今度もいろんな事情でお借りすることに応諾いただいのだった。 「キッスだけで…」の1幕2場、起承転結の「承」、雨降る日、食堂の外で倒れていたフィリッピーナのマリアン、そのマリアンが食堂「風流亭」で働き始める、2場はそのシーンから。 客に愛され彼女のお蔭でこの風前だった店が持ち直す…そこへ、という展開、周辺の人がさらにからみ展開されていく…あまり詳しくは説明できないが、実は稽古が熱を帯びていた。 なんでこんなに熱い稽古になるんだろう?と思った。 それを分析すると ①、出ていない人が椅子に座って真剣に見ている、役者は見られている思いからつい表現も過剰になる、ええかっこする(役者嗜好者のクセ)その相乗かも。 ②今、まだ流れを追っている段階、だからああでもないこうでもないと暗中模索、手探り、余計に想像しながら頭がいろいろ考える、やってみる、意外にこれ使える、これひょっとして表現としてあってるかも、だからおもしろい。 ③演出が全体の中からの指示を入れる、だからバトル