• 中川順平

一昨日の稽古(2)

昨日は肉づけのところで終わった。いうならば、粗い像をイメージはだいたいできた。でもまだどちらむいて歩いたらいいのか、逡巡のところ。


俳句に

「集団の落葉が渡る交差点」

というのがある、昨年2月、ある交差点で信号の変わるのを待ってると、一陣の旋風(つむじ)、数枚の落葉が滑るように交差点を手を挙げて渡っていったのを見ての私の駄作句だが、なんとも落葉が可愛かった。


話しは逸れたが、みんな同じでも困る、それとそれぞれが役の性格を創ってきて磨り合わすことをしないと、熱が生まれない。

私は松五郎を下記のように作った。堅物なんだが趣味は落語、だからもともと洒落がわからないのだが、不器用にそれを日常にも出して、受け狙いもしては回りを「唖然」とさせる憎めないオヤジだと作った。

私の符帳

俵 松五郎(風流亭主人)

65歳(庄助と同級生、2人は幼友達)

大正10年生まれ、(今生きてると101歳ぐらいか)、尋常小学校卒業後、すぐ丁稚奉公に出る。東京は日本橋の大店の寿司屋。無口で早朝4時起きの厳しい修行。先輩のいじめにもめげず持ち前の気の強さでメキメキと腕をあげる。男気の強さ、江戸っ子の一本気、自然と厨房の中でも頼りにされ、親方にも信頼されていく。

ある日、客の接待の場に新橋の芸者「梅奴」が客に一緒に付いて来る。まだ幼げな娘、実はこれが後の「翠」である。10年後、年期が晴れて松五郎は独立、次は新橋の名店割烹「蔵の庄」に板長覚えとして雇われる。そこであの梅奴、「翠」と再会する。華も恥じらういい女になっている。

そしてあの日、運命の物干し場での突然の結婚の申入れ。翠も満更でもなく、仕方なさ風に受け入れるが本心は嬉しい申入れであった。

さらに10年、松五郎は33歳、二人は独立し池袋に「風流亭」という店をもつ。一膳めし屋、今の食堂である。そのあと、一粒種の勇平が生まれる。

相変わらず口数は少ないが一本気でまがったことが大嫌い。無骨のままである。地域ではいつしか「親分」と言われ、問題ごとなど常に持ち込まれる、頼られる存在となっている。意外に趣味は「江戸落語を聴くこと」、洒落もきくのである。あまり受けたことはない、本人は言ってみて赤い顔をしている。


…と、私、順平はこの松五郎の生い立ちから今までを作ってみた。でもこれだけでは人物としては面白くもない、ここから役者としてこの「俵松五郎」を生き生きと舞台に活かせて動かせるのに何が足らないか。この芝居、普通にいる庶民の物語として観に来てくれる人に小さな感動と届けたいと思っている。

役の自分を創りあげていく楽しみは一番楽しい時間である。そんな集合体が「舞台」である。ただ誰ひとりとして手を休めないでほしい。回りに迷惑がかかる。演(や)ると決めたら個々の最高な芝居をみせよう。頭で考えないで心で感じた芝居を創ろうと思う。


それが肉づくりの第1歩である。まず自分(役)はどんな生い立ちでどんな環境で育ち、性格は…と考えると、自分の多くの経験がそれを埋めてくれる。またそれがその人の役の深さになる、がそれを表現というその一歩上の段階となると、難しい。ここで苦労する。が考え尽くすと回答はでる。結果は本番での客のアンケートに書かれる。


誰とは言わないが(自分のことは棚にあげていうと)、どの役をしても同じ間、同じ表現(喜怒哀楽の表現)で、同じ声…有り得ない、何故なら、と理由は言わずもがなであるが気が付かない、周りも言わない、心当たりのある人は名乗り出てほしい。がんがん言うから、誰も名乗りでないか(笑)。


だから次は、その肉付けのために、多くの挑戦をしてみることかな。

「表現は無限」という名文句がある。人間が変わると表現が人間の数だけできる。それでいいと思う。ただそこに垢がついた表現や、誰しもが使い古した表現では、人の気持ちは動かない。稽古ではその勝負を日々やらないと、次にいけない。


思い切って、大胆に…大は小を兼ねる、これも名文句である。


やってみ、思い切って、この言葉は、君に言ってる…みんなが楽しみに見てる、変わることを。


  では次に…(2)

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