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中川順平

「キッスだけでいいよ」のワンクール、終った、いよいよ…

この作品を決めたのは、2019年9月、ある劇団の演劇関係の蔵書数百冊の中から、候補作を10冊ぐらいに絞り、4名で手分けして読み話し合い決めた。確かにこのドラマ、衝撃度は大きな高低差はない、が流れている人間の体温の温かさは、なんとも人をして「人間っていいなあ、やさしいって素晴らしいなあ」って思わせてくれる作品、読んで評に私など「3回泣いた、これやりたい」と素直に書いたぐらい。


今回は足掛け3年掛けて作ってるような作品、最初にもったイメージとどんどん変わってきている、深まってきている、それぞれのセリフのもつ意味と、総じて各場面ごとの意図する背景と、それが何を構成しようとしていて、最後に何がいいたい、何を伝えたいのが、ワンクール終えて鮮明に浮かんできている。


昨日、日曜日の劇団神戸での稽古、少し早めに終わった(とはいえ、1時から始め、6時半までみっちり、このところ演出の小森ちゃん、我々の年考えず休憩は軽く10分ぐらいとるぐらい、それもこの5時間半に2回だけ…どうよこのスポコンみたいな稽古ぶりは。世のなか、働き方改革なんていってるときに、ここは未だ昭和…もう私など古希よ、この古希って漢字、古代稀なりから来ていると思っていたのだが、違うらしい、古いは希望、だって。新説らしい)。で、垂水駅まで行って那須くんと「軽~く、いっぱいいこうか」とガード下の串カツ屋に入った。コロナでガラガラ、客は2人だけ、7時過ぎ、おまかせ10本たのみ、ビールとハイボール、早速「稽古どう?」に彼は正直に「実はこの本決まって読んだとき、こんなにのめり込めるとは思わなかった、あまりピンと来なかった、面白いと思わなかった、でも今、日常のいろんなシーンにこのマリアンに思うのと同じ思いがある、あれっ?って。日常に落ちてる優しい気持がいっぱいでてくる、だからすごくやりやすい、工夫しやすい、正直、おもしろい、これ、まとまったときすごい感動になるんちゃうかな」と酷い腰痛持ちの彼が言った。


実は、彼は障碍者施設の幹部として働いている。この仕事について長い、余計に深いところでこの作品に流れる人のもつ優しさに共感するところがあるのだろう。


この作品、演じる我々のやさしさ度合を試されているのかもしれない。


ノー天気で上っ面なセリフや所作ぐらいしかできない役者は、結果そのままで終わるかもしれない。やさしさと言っても表面的なものでなく、深奥に流れるもの、それを如何に表現できるか、それにかかってる気がする。


そして半分終わった、粗い稽古が終わり、いよいよ本塗りに入っていく、ここからこの作品に思うそれぞれの役者魂が発揮されていく、自分のセリフや段取りばかり言ってる稽古は終わった、本の中に入ってその役割をしっかり演じることが肝要。生きた稽古に入っていく、こう動くからこうする、ああする、なんて幼稚園の学芸会みたいな段取りはもう止めよう。


一言だけ言っておく、「このまえ、演出はこういうた、ああいうた」って高校演劇みたいな言い訳はもういうな、芝居は生き物や、朝令暮改や朝礼昼改、朝礼朝改、朝飯まえや、朝令暮改を批判する会社、どんどん潰れてるわ、どんどん変わる、相手によって、どんどん変わる、3日前の稽古の段取りなんて死んでるもんや、聞いてて恥ずかしいわ、どんどん変わってこそ芝居、おそらく今の芝居の動きや表現、5月本番ではかなり変わってるはず、また変わってないと失敗や。

同時に、なんか出来上がってて、何回やっても同じタイミング、同じ所作、もう一度考えようや、それでええのか?と。自問自答してな。


なんかすごいおもしろい芝居ができそうな気が、俺はしてるけどな…  


客呼んでみ、「今迄で一番、おもしろかった、よかったあ」と言ってくれるか、な、?  

 

                              2021・3・29 順平

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