昨日の26日水曜日、稽古場は板宿の立正寺だった。中山住職のご好意で、度々無理を言っている。また今度もいろんな事情でお借りすることに応諾いただいのだった。
「キッスだけで…」の1幕2場、起承転結の「承」、雨降る日、食堂の外で倒れていたフィリッピーナのマリアン、そのマリアンが食堂「風流亭」で働き始める、2場はそのシーンから。
客に愛され彼女のお蔭でこの風前だった店が持ち直す…そこへ、という展開、周辺の人がさらにからみ展開されていく…あまり詳しくは説明できないが、実は稽古が熱を帯びていた。
なんでこんなに熱い稽古になるんだろう?と思った。
それを分析すると
①、出ていない人が椅子に座って真剣に見ている、役者は見られている思いからつい表現も過剰になる、ええかっこする(役者嗜好者のクセ)その相乗かも。
②今、まだ流れを追っている段階、だからああでもないこうでもないと暗中模索、手探り、余計に想像しながら頭がいろいろ考える、やってみる、意外にこれ使える、これひょっとして表現としてあってるかも、だからおもしろい。
③演出が全体の中からの指示を入れる、だからバトルが起こる、この段階で「はいはい、わかりました」ではあかんのかもしれない。演出は今回、今までのように頑固ではない。会話を基調に演出している。今までだと一方的な指示だったが、役者の意見聞いてる、動かせる、できないと見せる…
自ずと熱くなる
④稽古でこんなシーンがあった、芝居の世界は何十年ぶりのある役者、演出のいうことに納得しないから反論する、演出はその役者の力量を見抜いているから「ここはやってください」と、上段からの指示、これでいいのである。客観的な見え方に到達するには、じかんがかかる、自分ではできてるという錯覚、一番怖い、自分の尺度なんて狭い、同時に合っていないことが多い、演出の指示以上の演技表現で還ってくるなら別だが。ここでも熱い、久しぶりだ、まあこういうバトルが益々大事なんだ。
⑤ある学生くん、代役、とはいえ、汗流してああでもないこうでもない、とやる。そして代役なのに演出から指示が飛ぶ、本役のごとく。ときに本役以上に代役がやると、場が盛り上がる、昨日の学生くん、そうだった。流石演劇部仕切るだけの役者だ。姉さんも芝居やってるときいた。家庭の中に演劇的感性が飛び交っているのだろう。だから彼がでると暑いのだ。勉強になった。
⑥年配者…汗もでないぐらい枯れてるのに、汗かいている、これは単にストーブのせいだが。まあ熱かった、ストーブが。
⑦主役のマリアン役が、日々テンパりまくっているときいた。この時期にやってるとはおそれいる。これはうまくいく証拠だ、終演後、大きな成功と称賛の声が雨嵐のごとく降り注ぐことをイメージしてがんがん、頑張れ、君ならやれる。しかし客観的にみても経験1年、2回目のステージでこれだよ、すごい、普通無理だ、芝居的感覚と生来の役者的感性を持っていたのだろう。だから「ディアマイパパ」の芝居みて、人を通して「劇団ぷらっとに入りたい」と申し入れしてきたのだろう。ありがとう。
昨日、稽古のとき、怪我をした兄をいたわってるとき、後ろから声がかかった。そのとき、左回りで後ろを向いた、そこを兄役の役者がさりげに、右回りに変えてやっていた。その意味、わかるようになれば一歩成長、芝居にはある種の見え方を大事にする所作がある、覚えておいていいルールがある、さりげにこなせるようになりなさい。先輩の教え大事に。ここでも先輩、熱い。
いくらいい顔していても、客に尻向けて後ろ向いていい顔しても宝の持ち腐れ、ある種いつも覚めているところがいる。ベテランに近い人でも結構いる、こんな人が。まあ、舞台みるとその人のキャリアがわかるが。
⑧まあ、昨日は、暖房とストーブで暑かったが、椅子に座ってるものも、舞台に立ってるものもなんか一緒に時間を共有していた、濃い稽古だった。
この本、おもしろい、と演出が最後に言った。
私もこの本、デザイナーの小林さんが台本読んでチラシのキャッチフレーズとして作ってくれた
「ここには、愛が溢れている」…まさにぴったりだと思った。
これは彼が「僕がキャッチ書いていいですか?」と言ってきたのがこれだった。
久しぶりにみんなでのりにのれる気がする…2020・2・27
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