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中川順平

この日、15+4=稽古場いっぱいの…

この日2月29日(土曜日)、閏年2月最後の日、この板宿立正寺に、キャスト15名、スタッフ4名(ジェラ北村さん、孝平親子含む)が参加、もう酸欠状態の稽古風景だった。


前回に続いて、何?この熱さは?という日だった。


前回続いて1幕2場、特に「ホセ」(マリアンの兄)登場の劇的なシーンの繰り返し。この芝居の大きな展開の1シーン、芝居は、何度かこういう展開を大小に分けて創る。特に最後には最大のうねりをもってくる、これはその大小の一つ、でも前半の大きなシーンである。それだけに、そこにもっていくのに回りの感情の高鳴りが必要なのである。


今回の稽古はそれに苦労した。まだまだ…の演出の声だけがどんどん大きくなる。


この芝居を創る過程において面白いのは、各人が各人の演技や解釈を持ち込んでだせるところにある。昔よく営業の駆け出しのときに言われた言葉が「発想は無限」だ。

今のところ、視ていてまだ3割ぐらいだが、これを各人が自分でやっている自主稽古の折に、考えだして持ち込んできたら、木に花が咲きだすだろうと、思う。元来芝居とはそういうものだろう。


独りの偉い人が、全て決める芝居なんて危険極まりない、役者だって表現者、その発想を活かさない手はない、それをむしろどんどん活かす舞台、生きてゐる、そんな気がする。

逆を言えば「死んでいる」芝居があるということだ。


その日の夜「テヴィェ707回 屋根の上のヴィオリン」をネットで観た。

あの森繁久彌のテヴィエ、帝劇で707回目、チケットが手に入らない。海外からも並んで買った人がいるぐらいのあの舞台、伝説の舞台をドキュメントで作った記録ビデオ、興奮、さながら自分が舞台に立つ一人のごとくに。有名なカーテンコールが30分というシーンなんか舞台側で写してるビデオ、興奮した。そう、それだけ舞台は人をして覚醒させるし、人をして夢を提供できるし人生を夢想させてくれる、なんとも興奮するテーマである。その日の夢はテヴィエだった。


この日の稽古、フィリピンの歌の練習があった、ギターのシーンも。それをジェラ北村さんと合唱担当のコメディアンじゃなく、ミュージシャンの森本氏の指導でみんなピーチクパーチク、フィリッピン女性の北村さん、30年前に日本に来た。どちらの言葉も縦横無尽、そして賢い、センスがいい、呑み込みが早い、なんとも素晴らしい先生。


ふと思った。この芝居、多くのフィリッピンからの移住者、また働きに来ているフィリッピンの人にも観てもらいたいものだと。そんな案内できないかなあ。おそらくフィリピンの人がこれを見ると、すごく喜んでくれるのではないだろうかと。自信がわくのではないだろうかと。それに日本人の本音、知ってもらいたい、多くの日本人は、この夫婦のようなものなんだと知ってほしいと思った。

かって、両国にあった悲劇(主に日本国の成せることだが)を経て今日なのだが、比国は未だ日本を親日国として、友好的関係をより深く紡いでくれている。なんとも素晴らしい国民で、この先もより親密な関係でありたいとこころから思う。是非観てもらいたいものだ。


今、国が国民を作っていってる恐れがある。


それが今の世界。例えば中国と日本、日本と韓国、日本とベトナム、一方、次郎のセリフの中にもあるが「アメリカ人や白人ならOkで、アジア人はペケかい」という考え、我々も考えさせられる、そんな素晴らしい作品だとやりながら思う。


まあ、話は戻すが、その前にしっかりセリフ覚えて、稽古の足を引っ張らないようにしないとな。


反省…何言ってるんだ、サルでもできるわい。


熱く熱く、やろうぜい、マリアン、ガンバレ!! セイガク(わかるかなあ?)、ガンバレ!!





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