読み終えた、市村正親のこのタイトルの本を。中でも本にアンダーラインを引いたところを紹介しよう。おそらく役者をしている人が、疑問に思ってることやどうしたらいいか分からないままのことなんかの回答になれば幸い。
芝居はすべて〝見る”ことから始まっていると思う。役者は目と目でものが言える。目と目で支え合える。やっぱり“見る”ことは、とても大切なんだよね。…実感する言葉だあ。
あえて役者が力を半分におさえて、残り半分を観客に想像してもらうようにすることが、いい演技ということなんだ…「ミス・サイゴン」のオーデションのエンジニア役にパスしたとき、海外の演出家に言われた言葉。この言葉は後でも何度かでてくる。
蜷川さんがよく言ってた。「役者ってのは役をいきることが出来るんだぜ。そんな素敵な仕事はないだろう。だったらくよくよせず、もっと真剣に大胆に激しく役を生きろよ」と。
演出家の蜷川幸雄がよく彼(市村)に言ってた言葉
「俺、イッちゃん(劇団四季時代からの市村氏の愛称)にダメだしするの、大好きなんだ。だって、へこまないんだもん」
実は市村さんは、劇団四季に入る前に(26歳ぐらい)、俳優西村晃の付き人を3年間やっている。こういう下済みをやっている。だから苦労人でダメだしなんかを自分の血肉にできることを学んでいるのである。理屈で受け止める人は、演出や周りのダメだしを毛色ばって、ムカッとした雰囲気でとる、だからダメだしがこなくなる、結果、浮いてしまう。本人だけ気づかないでいる。よくある稽古、芝居の世界にあるシーンだ。
小川亜矢子(市村さんにダンスを教えた先生、有名なダンサー、劇団四季のオーデションを受けろ薦めた先生)が、日生劇場に市村氏の公演を観にいって彼に言ったアドバイス
「お客様に分からせようと思ってお芝居をしていたでしょう?」って指摘され、さらに「それよりも心で思ってお芝居をする方が伝わるのよ。トゥーマッチ(過剰)な芝居をすると、そこに気をとられてしまう。お客様はバカじゃないの。お金払って想像力を働かせて見に来てくれているんですからね」と。
その時から彼は芝居の表現が変わったという。
そして篠原涼子(奥さん)、彼女とは蜷川演出の「ハムレット」で競演したときに、知り合い後に結婚、2人はハムレットとオフェーリアの役だった。今でも彼女は俳優の盟友として、いろいろなアドバイスと的確にくれるという。
多くのアドバイスの中でも一番大きなアドヴァイスが「舞台でも映画のアップで撮られているような気持ちでお芝居をしてみたら?」というアドヴァイス、これはあの小川亜矢子先生が言った「そんな大げさな芝居をしなくても、お客様には想像力があるの、それを飛び越える過剰な芝居は煩(うるさ)く感じるんですよ」と以前に言った言葉を一致していると彼は本の中で述懐している。
アップで撮られてるいるような気持ちで芝居…なるほど、細やかな芝居、全身に神経がいきわたってるような芝居という意味だろうか。それだけ客と役者とは近いのだ。
ずっと前に前にも書いたが、学生の頃に観た「どん底」(ゴーリキーのサーチン役の仲代達也、金がなくて神戸国際会館の3階の一番後ろで観た)で、驚いたのが、マイク無しなのだが、彼の息遣いや目の動きまで見えた(ような気がした。心が入るとあれだけ遠くからでも人物の心情まで汲めるもの)のだ。(と思ったしまう、名優の演技とは)
「熱演と言われる役者の芸のなさ」という言葉があるらしい。
結論的には、役になり切る、役を生きる、これほど楽しいことはない、ということだ。
森繁さんの本、西田敏行の本、山崎努さんの本、市村さんの本、好きな渥美清さんは俳句(風天という俳号で有名)はたくさん作ってるが自作の本はない、他人が彼を書いたのがたくさんある、そんな本を読破して思う、
「役者、こんなに面白い職業はない、やればやるほど、おもしろい」ということだなあ。
渥美清さんの俳句に、小さいとき、雪合戦で好きだった女の子にぶつけた雪、それを詠んだ句
「好きだから強くぶつけた雪つぶて」
恋も真剣、芝居も真剣、残り人生、生きてみたいと切に思う。やろうぜ、なあ同輩!!
まあ、たくさん示唆のある本、読みたい人は言ってください。土曜日の稽古に持っていくよ。
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