これは演出の小森ちゃんが稽古の場で言えなかったことを外野から見ていて思う事や、稽古風景や内容で私なりに思うことを勝手に書いてみたく…
昨日の稽古、なかなか良かった。いつもそうなんだが、台本が決まってさらっとうわずっぱりで読むと、これほんまに舞台になるの?という印象をみんなもつ。もう本読み、1か月半近くやっている。今年もそうだった、「これ舞台になる?」だった。そして役者も決まり、なんとなくそれぞれが役作りに専心してくると、なんとなく「あっ、これって、そうそうこんな感じでいいのかなあ」と小さな発見と交流が起こる。
そしてそういう小さな発見が重なり、多くなると「なんとなくつながる」のである。
昨日は、そんな感じになったシーンが何か所もでてきた。
でもまだまだしっかりと各人が役に専心しないと、スカスカ。自分の演技について人に言いたいだろうし人からも意見もらいたいが、あまり自分ばかりではいけないので、遠慮する、そこは自分だけでやってくること。その微妙な判断や話の流れや、話のトーンからづれている場合は演出から指摘がくる、要は自分だ。
ここで思うのだが、客観的に自分を見ることの難しさ、このセリフはこの流れでは声を張り、存在をしっかり主張するところだ、と思ってやってみると「違う、逆だ」と演出から指摘が来る、「ええ?違う?なんで、そのつもりで行ってるがなあ」のとき、多くは自分が出来ていない。役者と演出の立ち位置が違うのである。そこを理解していないと、「やってるのに?なんでおかしいのか?」と不満ばかり残る。稽古途中で、時折役者が「ええっ?やってるよ、そのつもりで言ってる、わたしは」なんてさも自信たっぷりに名優のごとき言い張る役者がいたり、ふてくされたような態度に終始するのもいる、あんたの負け、出来ていないから指摘されている、それの回答はその場に参加している人が持っている。
昨日もあった。ある役者に「違う、前にも言ったよ、そこは違う、逆だよ、もっと考えて来て!」と演出。
昨日の本読み、もう4回ぐらい通した稽古で、かなりそれぞれが内容と話の筋をつかんできた稽古だった。
これからだ、大まかな役の「感じ」がつかめた、肉付けはこれから、細部にこだわるのはまだまだ先、チェックするべきは、流れに乗っているか、語る意味をしっかりつかんで語っているか、分からないところは早く解決しておくことだ。肉付けと言ってもこれで間違ったらもう取り返しがきかない、かなり先に行って還る時間も無いところまでいってその肉付けがまちがっていたら、本番はもうスカスカの舞台、演技になってしまう。大局的に自分の動き、語りが合っているか、登場人物との距離感があっているか、一人浮いて邪魔になっていないか、まずそのチェック、できたら、いよいよ次のステップに入る…
今回はここまで。次会編はつぎに…(1) 2020・1・30
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