top of page

昨日・道化座「ともちゃんち」 於・神戸文化ホール(中)

1月23日(木)平日午後2時半~の公演というハンディキャップのある平日、昼間公演、

それが客500名という快挙、1回だけの公演、いくら県や市が後援についた、震災芝居、タイミング、読売と神戸新聞が直前パブリシティを入れてくれた、等のバックアップがあったとしても、何故にこれだけの客が入ったのか?


これを経営的見地から考えてみたい。5年前に見た芝居と違っていた。5年前の芝居は、甘くて、1時間半が長くて見ていてこちらが照れた。今回は芝居に入り込めた、客が。テーマもストーリーも大きく変わっていないのに。震災という大きな出来事が25年前にあったすぐあとの日の公演、マスコミも数日間はこの地震一色だったことも幸い(?)したこともある。なんでだろう?


確かに、客の入りが難しいと判断し、いろいろ手を道化座が打ったこともある。無料招待チケットも増やしたみたいだし、周辺にチラシも多く配布、チラシデザインも変えた(これは神戸プラットフォームの内海デザイナーの作品で概ね好評を博していた。道化座の営業用、小中高校に送る移動公演のパンフレットもこのデザイナーの内海氏の制作で好評らしい)。


実は私も客演として出演していた。カーテンコールで気づいたが、舞台から見ると多くの人がハンカチをもっていた。この作品、学校移動公演で打つと、哲ちゃんがヤンキーで出てくるとやんやの喝采だし爆笑されるとか、思わぬところで笑いがおくるとか。

昨日も思わぬところで客が反応していた。そうだこれだ、あちこちに小さな笑いや納得のセリフや動きがちりばめていることが、いい芝居なんだ。そして最後にどか~んと決を出す、なんか考えでもさほどの結論はでなかったが、こういうことなんかなあ。


まあ、私、医者役、ようもこの68歳のおっさんにピンクレディーの踊り(踊りどころかなんか酔っ払いが蛸踊りしているみたいな)させるわ、と思った、ああ、そうかこれもその小さなザワザワなんかあ、やられたあ、ようし東京公演ではもっとザワザワ創ったろう、本番は。演出に知られんように隠れてやったろ、だって東京時代の仲間もいっぱい来るだろうしなあ。東京くんだりまで行くのに、なにもないじゃ役者としても恥ずかしいよな。


そしてアンケート、なんと枚数わからんが、今までにない数が書かれていたと受付の報告、何も道化座持ち上げるわけじゃないが、道はいっぱいあるというわけ、何も表現はひとつでなく、王道があるわけでなく、表現は無限なんだと思う。

わかったこと、頭で考えるとあかんのだ、こころで感じるんだ、芝居ってのは。その感度がいいのがうまい役者なんだと思った、それをいいところひっぱりだせる演出が大事なんだとも思った。


いい勉強になった。


 
 
 

最新記事

すべて表示
読み稽古・何を表現するのか・・・?

明けて1月10日(水)から稽古を始めています。原則、水曜(18-21時)・土曜(13-18時)、の稽古を重ねています。さらに4月から、日曜(13-18時)を追加します。5月中の公演間際まで稽古を続けるわけですから、一見、日数があるように見えますが、兎角、役を・場を創り・積み...

 
 
 
非常時ほど非情にも…

今迄と違う公演… 今回ほど裏切られた思いで腹にイチモツをもって公演に臨んだことはない 多くは語れないが、社会が人間と人間との間ででき、作りあげられて来た今日を、あらためて考えさせられる「公演」だった。 非常とは非情、人の本音を残酷にも焙り出していく...

 
 
 
さらに、いよいよ、本番一日前…

昨日、月曜日、大道具(チハヤブタイ製作)、小道具、衣装等の搬入、製作者は6人ぐらいのスタッフも同時に仕事してくれる、プロだけに早い、内容がいい、照明、音響、受付周りの設定、 いつもなら他の劇団のチラシを当日パンフレットに挟み込む、これは他の劇団も来て挟み込みを手伝う、中には...

 
 
 

Comments


bottom of page