8月13日、14日と郷里徳島へバスで帰郷しました。古希になる兄がいつものように歓待してくれ、夜を徹して飲みながら昔話、なんとも体のコリがとれていくような…何もまわりに気を使うものがいなく、なんの飾りもいらない、まるで敵のいない時間、そして亡き祖父母や父母のことになると、じわ~っと温かい血を送ってくれるようなこの時間、もう66年間の中の18年しか郷里には一緒に住んでいなかったですが、その濃さといえば自分を作ってくれた圧縮の記憶がたくさん存在した、そんな宝玉のような感じでした。
翌日は山峪に昇る朝日が5時半ごろ、家族を起こさずひとり起きて短パンにTシャツ、タオル一枚しっかりもって、遠足にいくような気分で、小学校時代の通学路や秋祭りの日吉神社や榊神社、それに母校の小学校を句帳をもって訪ねました。
そして、山口小学校の校庭で突然できた「炎帝や校舎の裏山にまわる」を書き止め(まだ推敲前 / 放哉の、裏山から煙りがでだした、という句がある。また山頭火に、墓の裏にまわる、という句もある)、さらにたくさん句材拾いながら…朝の時間をあの時代にワープしながらひとり放蕩していたのであった。
ちなみにその時作った句
尻が消へ腹半分の蝉骸(せみむくろ)
斑猫(ハンミョウ)の近づき来てや妙に去る
さつきからずつと付いて来(く)夏茜
帰りの徳島駅の前、懐かしの阿波県人なら自然と手足がうごく阿波踊りのリズム、その音頭も一緒にバスに乗せ帰路につきました。
劇団ぷらっとのみなさん、この夏いかがお過ごしですか?順平さんからは、熱い熱い暑中見舞いいただきました。余計に熱くなりました。小森さんは今、劇団道化座と劇団神戸という神戸を代表する劇団から演出でなく「役者」としてのオファーがあり、まさに熱い熱い稽古中だと聞きました。是非秋にはさわやかな秋風のような役者ぶり拝見いたしとうございます。
福島さんは、おそらくこの夏も仕事であっちこっちに走りまわり、休む間もなくやってることでしょう。いや、むしろ来年の劇団ぷらっと公演に備えてエネルギー蓄えてるんでしょうねえ。はねっ返りの、いや失礼、美しい三宅姉さんはこの秋の鄭さんの姫路での芝居に出演で家事ほっておいて熱中してるんでしょうねえ。あまり便りがないけど…
他のみなさんもお元気でしょうか?ちょっと阿萬さんが病気になられてると聞きました、この夏乗り切ってほしいと思います。那須さんや中山さんはまあ、元気でいつものように、そうか中山さんは一番忙しい「お盆」だ。でも大変な社会貢献ですよねえ。この暑いさなか、黄泉の世界から還ってくるご先祖さまをお迎えし、また送出す、その家々に風習がありそれをまた取り仕切って、平穏な世の中をつくり続けていく、できないよねえ。那須さんもお母さん、元気かなあ、便りがないから大丈夫だろう、と思うが…近いうちにまたお会いしましょう。そうそう、劇団に入りたいという女性がいて、近いうちにお会いすることになってて、結果また知らせましょう。そしていよいよ第6回公演の台本捜し、各人やってくれていると思うけど…召集かけたときにはひとり1作は持参のことねえ。では(乾)