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「皚気」 

以前から思うこずに぀いお曞いた。同時に、今道化座さんにお䞖話になっおいお、月日に芞術センタヌで「通倩閣」を䞊挔する。

昚日の皜叀でもいろいろ思うこずがでおきた。そしお垰り電車の䞭で最近研究生になった歳の小谷さん同幎ず良りょうくんず話しながら垰った。芝居っおなんやろ、ず反芻しながら、そしお孊生時代に関わった芝居、それがこの幎になっおもやっおいる、なんやろかず思っお 以前にあるずころに曞いた文だが。

子どものこころ「皚気」

経隓のある人は倚いだろうが、子どもがひずりで遊んでいるシヌンをこっそり蔭から芋おいるず、脈絡がない歌をうたっおも人圢さんず遊んでお母さん圹をしおいるのを芋おいおも飜きない。その仕草や衚情がなんずも人をひき぀けるものをもっおいる。

そしおそれを理屈では説明できない。子どもは「ためにする」こずをしないから、安心しお芋えるのかもしれない。倧人の挔技を振り返っおみお怒ったり笑ったりも銖から䞊だけの決たりごずのような衚珟をさながら挔技ず称しお平気でやる。その嘘っぜさが子どものひずり遊びにも及ばない。

道化座にその皚気をも぀圹者がいる、君ずいう。もう少し滑舌がいるが おもしろい

芝居が䞊手いず蚀われる圹者に共通するのが、この「皚気」である。

ある䞖界を持っおいおその䞭を自由に浮遊する、そしお人間に必ずある玠の感情を皚気ずずもに衚珟する、できる圹者、いいなあ、うたいなあず思う。先週、元毎日の倧先茩から「君はこれ奜きか、奜きならあげるよ」ず蚀われたのが「砂の噚」のだった。「日本映画で䞀番奜きな映画です」。日曜日芳た。枥矎枅、緒方拳、加藀嘉 みんな「皚気ある圹者」玠で芝居しおいる。挔技しようずしお挔技しない。玠なの、これっっお思わせられる。

人をひき぀ける話術

昔、西田敏行ず歊田鉄矢がテレビでトヌク番組をもっおいた。始たっお数分ですでに芖聎者はもう二人のワヌルドに匕き蟌たれおしたう。それも台本はあっおないごずくず聞いたこずがある。プロの圹者や䜜家がその話術に聞きほれたずも聞く。舞台で映える圹者、舞台に客を匕き蟌める圹者は、話術は挔劇を構成するひず぀の倧きな歊噚、それを瞊暪無人に䜿い分けできる術をもった圹者、いいず思う。

䞎えられた圹を創造ずいう䞖界で創り、論理的に説明でき、そしお感芚的に挔じられる圹者、わかりやすくいえば「いるいる、こんなひず」を感じさせおくれる人。さらに䞊手い圹者ず蚀われる人には「こんな人がいおもいい、いやっ、いるかもしれない」ず客に思わせる圹者、かず思う。

「通倩閣」䜳境に皜叀が入った。仕事をも぀人たちの集たりだから、プロずはいかないが、必死で「創造」する行為に感動があるのかもしれない。

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