地図を広げて

October 9, 2018

すでに解散したグループの残り3人が新聞に順繰りに記事を書いている。「地図を広げて」というタイトルで。

去る10月6日の記事でその一人の稲垣吾郎さんが書いている。天才の音楽家、ベートベンのことを書いた流れで次のようなことを。「役者にも天才っていますよね。例えば舞台でご一緒した中で、大竹しのぶさんの表現力ってすごい。近くで見ていてかなわないなあと思いました。草なぎ君も天才的なところがある。自分でコントロールが利かないほど没入する。いわゆる憑依(ひょうい)型の俳優。めったに演技論なんか交わさないんだけど、たまに話すと細かく考えています。天然っぽく無邪気なふりして、あの人はあなどれないですよ」

 

思うに期せずして言われた「憑依(ひょうい)」、いうならばキツネ付き状態、自分の冷静な精神をどこかにおいてきぼりにして、あちらの世界に乗り移っている表現、見ている方が「ゾーっ」とするような時間と空間、そんな表現方法を用いる役者、まるでキツネが付いたような目、動き、声、それを自分の精神を操りその状態に持っていく、一番タイミングよく、ドラマが一番高揚するシーンで。

そんな役者を言うのだろう、天才的と。

 

偶然に新聞読んでいて、今、一番興味がありテーマとしている「憑依」が期せずしてでてきた。いくつか最近も芝居を観ている。でも最近そんな役者に会わない。BSで最近「八墓村」の映画を観た。もう40年も前の映画。20歳の学生時代、映画館で封切を観た。その時の山崎努にキツネを見た。怖くて映画館でた後も放心、都会にいる安心感を感じたものだった。山崎努、当時から彼はそうだった、のちに名優と言われるようになるが。彼の役づくりがほかと違うのだろう。金田一はあの渥美清、どうも合わないなあと感じた。

翌日、「男はつらいよ」の第1作(全48本だったか?)作品をこれもBS7チャンネルで観た。もうすごいことになっていた。寅さんがいた。年とったあの後半の寅さんでなく、あの元気で顔の表情もどんぴしゃの、山田洋次監督の狙い通りの寅さんがいた。びっくりした。初演はこういうのだったんだあと再発見した。

 

今度、ある芝居で住職役をやる。ある家の法事にでる役、その役づくり、なんとも笠智衆の住職がぴったり、参考にしたいなあと。まるでそこには住職がいた。頭は坊主でなくてもいいのだ。高浜虚子が言うた。「深

 

やはりうまい役者って知恵があるんだろうなあ。さり気にやってるが水面下ではアヒルの足で、見えないまでもかつかつ掻いてるんだろうなあ。それにいろんな挑戦をして、「自分」を作っていくのだろうなあ。今回「八墓村」の渥美清と寅さん1作目の渥美清を見て、大事なことに気付いた。毎日が演技の勉強だろうなあ。天才なんているかもしれんが、わしゃ関係ないとつくづく思ったねえ。いろいろ考えると役者って楽しいものだ。

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