そう、今年は「葬儀はキャンセルできない」という台本に決定。
まあ、この本に決定するのにも右往左往したのも事実。
まあ、これをいかに料理して、いろんな役者というスパイスをふりかけ、どうそ召し上がれとテーブルにお出しするのが、2019年5月23日(木)~26日(日)。
今回も我が劇団の小森清太が演出する。
これは私が三顧の礼を尽くして「君しかいない、是非演出をお願いする、たのむ、ギャラはずむから」とぎしぎしいう身体を札のようり折り曲げてお願いしたのだった。
「そこまでいうなら、実は本当は久しぶりに役者やりたいと思っていたんだ」とのたまうのだった。
彼はあの昨秋の劇団神戸の「おかしな二人」に客演に呼ばれて、初日、大事な所でポカッとセリフ忘れ、もう回りもアドリブでごまかせないわ、仕方なく本人笑って隣の部屋に逃げ込み、知らん顔してその部屋で台本みて、涼しい顔してしら~とでてきて難を逃れたことなど忘れて、「役者やりたいと…」なんていうのだった。
もうあの時、観ている我々が心臓止まるぐらいの衝撃というか、恥づかしいというか…。
まあ、先が思い知らされるかもしれんが、なんとかなるだろう。
これは「葬儀物」だからおもしろい、何も劇団ぷらっとの客が高齢者だからというわけではないが、非日常の世界はこの葬儀の世界にあるといわんばかりに芝居では葬儀物が多いも事実、それと誰もあちらの世界って経験したこともないし、その葬儀の儀式はある種の緊張で成り立つだけに、喜劇チックなシーンが多い。しきたりが縛る世界だけに、とんちんかんなセリフや動きが頻発する。
だから面白いし、そこに人間がでる、まあそんな話、詳しくは述べないが、2年前の「煙が目にしみる」の世界よりも、もっと笑う、そんな芝居です。
だから今、キャスティングにこだわって、「喜劇」に合う役者さんを客演にお願いしている。
立ってるだけで「喜劇」が臭うような…、もしくは「シリアス俳優」かと思っていたら「喜劇の人なの?」と化けるような役者を今、必死で探してる。
まあ、このキャスティングにも注目ください。
まあ、あまり最初から楽屋落ちをいろいろ書くとあらぬ方向に想像が飛んでいきそうだからこのあたりで第1回目は終えるが、まあ、簡単にいうと、「死んだから葬儀の準備してたら、そこに死んだ人が帰ってきた、でももう葬儀の準備も終えたし…こまったなあ、どうする?」という話です。
いまさら葬儀止められないしなあ…みたいな、これだけでも変でしょ?