ひとつの感動体験

March 19, 2019

演劇がもつ不思議な体験をご披露しよう。

前勤めていた会社の東京本社、40歳の頃、神戸に家族を置いて単身赴任で勤務していた時のこと、その時の上司からの依頼で、大田区の精神薄弱児施設に伺った。その上司は一人息子が薄弱児で「自分が50歳になったら会社を辞め、その施設で資格をとって一生勤め上げたい」と望みリタイアしていた。

 

「実は、今、男女15人づつの子ども達と寮生活をしているんだ。東京には同じような施設がいくつかあって、秋の文化祭の一環で演劇祭をするんだ。うちは残念だが毎年ひどい結果で、うまくなるいい方法はないだろうか?」と。できれば協力してほしいとのことだった。ここの寮にいる子(20才~30歳ぐらい)は、ほとんどが軽作業の勤労者であり企業に勤めている。軽いコミュニケ―ションはとれるのである。

 

そして週2回の練習がスタート。はじめに「あいうえお」が言える滑舌練習。そしてあの「あめんぼあかいなあいうえお、浮き藻に…」である。

大きく口をあけて明瞭に言える訓練。この段階でぶつぶつ文句をいう者もいたが、根気よく根気よく夕食の前に全員で毎日やってもらった。「あめんぼ」は一か月でみんなが覚えた。

 

そして、1ヶ月後に30人全員が出演できるように台本を書いた。原作は藤本義一の『トタンの穴は星のよう」だ。食事のあと、配役の発表、みんなドキドキ、発表の直後、その場ですねる子、部屋に何も言わずに帰る子も出る。とにかくわかりやすいのである。この演劇祭、制限時間20分という芝居。これでいくとセリフは一人一行か二行程度となる。

その中に、「みきちゃん」という20歳の、少し首を寝かしてしゃべる美しい子がいた。

頭と体を傾け、少しいつも揺れている、そして涎を垂らしていた。

話もいつも濁音まじりで吃音で、幼児言葉であった。

セリフは一言「おばちゃん、ゆみちゃんはいつ帰ってくる?」・・・

でもこのセリフが自分の番になってもでてこないのである。普段の日常会話は問題ない。

芝居となるとセリフのタイミングが覚えられないのである。さらに明瞭に言えない。何度も何度も根気をつめて練習、寮長もスタッフも総動員である。みんな都の職員である。

さらに2ヶ月、いよいよ本番。ある都内の立派な文化ホール。

 

奇跡はここで起こった。

 

この演劇祭は年に1回、両親も親戚も楽しみに観にこられる。いよいよその寮の番、みんな緊張で真っ青、袖で半泣き、その場で足踏みが始まる、極度の緊張となるとこういうことになるのか、なるほど、意外に演出の私は落ち着いている。そして緞帳があがった。客席はくいるように観ている。夜空の外のシーンから、出来具合はなかなかいい。始るとなんともみんな度胸が据わっている。間違っても平気、客が沸いている。それで役者も調子にのってくる。なんだ、こいつら本番平気なんだあ。そして20分、感動のうちに終了。

 

おそらく練習量はダントツだったのではないだろうか。セリフを忘れたりとちったり、相手のセリフをしゃべってしまったりはあったが感動的だった。

そしてその軌跡は終了後の楽屋の中で起こったのだ。

 

「出来たあ、良かったあ」とみんなで抱き合ってる部屋に一人のお母さんと思える女性が駆け込んで来た。

「みきっ!みき?どうしたの?頭が、まっすぐになってる?どうして?ねえ?なんで?みき、あんた治ったの?」みきちゃんのお母さんだった。

みきちゃんに会うのが一年ぶり。お母さんの我が子の残像は常に頭と体は傾き揺れ、絶えず涎を垂らしていた、はずだったのだ。

それが少し傾いたぐらいで涎も垂れていない。何より普通に明瞭に話している。実は私たちも寮のスタッフの人も誰も気がつかなかったのだ。毎日毎日の練習で0コンマ1ぐらいづつ本来の姿に体が戻っていったのだ。だから気がつかなかったんだあ。そして声、なんともみきちゃんだけでなく、多くの子たちがかなり明瞭に話すことができ、感情表現まで豊かになってる子もいたのだった。毎日の発生練習で、舌の使い方がうまくでき、背筋が伸びることで本来の声に近いようになっていったのだ。

 

「話す」という行為は、それに必要な「言葉」という宝玉のような美しい道具を生み出すのである。それを駆使して「会話」が生まれ人に気持ちを伝える。

この事実を味わったものは決して「言葉」を無駄にしない。大事に言葉を使い大切に会話を楽しむ。言葉を的確に選んで語れる人は言葉に選ばれた人でもある。それだけ重い。芝居のもつセリフ、「言葉」は作者が創りたもうたもの。ゆめゆめおろそかにはできないものなのだ。

 

そんな経験を40代のころ、サラリーマンをしながら気づいた。それも若いとき、演劇という経験を得たことから気づいたこと、だから明瞭に話す、語る。

 

セリフの目的は自分の意志を「伝える」こと、なんだと今の「葬式はキャンセルできない」を稽古しながら思う。だから磨こう、技術を…今のように無駄打ちのようなセリフの羅列では「感動」の域まで高まらない。くれぐれも意志を伝え調和によって大きな「感動」を呼び起こす、それこそ役者が、舞台が、もつ大きな使命でもあるわけだから…みきちゃんに負けないように、日々。(J)

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