いろんな言い方があるが、芝居、というのがどうもしっくりくるなあ。演劇っていうのは、どうも仰々しい表現だし、なんか借り物みたい気がする。舞台というのも、ピンとこないなあ。やはり芝居してる、芝居やってる、芝居はおもしろい、芝居…の方がなんか貧乏くさくて私には合ってるような気がする。
もともと出雲の阿国が京の河原で…なんて聞いたことがあるが、定かではない。5年ほど前にその出雲の阿国の墓参りをしたことがある。東京からの仲間が出雲に行く、来ないかというので、神戸からバイクで一人で出かけた。そして出雲大社の前の旅館、ある有名な歌手の家(竹内まりあの実家 竹野屋旅館)、その実家だが、10人ぐらいで泊まった。出雲大社参詣のあと夜はお決まりのどんちゃん騒ぎ、近くのコンパニオン会社に派遣を頼んでいたら、3人、化粧の厚い50歳ぐらいの女性が来た。「さっきまで葱の収穫してたんよ」って言っていた。農家のおばさんのアルバイトだ。しかしそれがなんとも人を乗せるのがうまい、みんなわいわいと歌っている。楽しいことこの上ない。そんな夜が更けていった。
翌日、みんなは銀山やら宍道湖やら観光、私は一人バイクで周辺を探索、すると出雲大社のすぐ近くに「阿国の墓」と案内がでている。線香も何ももっていないが、まあ役者の端くれ、気持ちだけでも役者くづれになれるかと、参りに行った。この地の大きな墓園であった。その墓から大社にたなびく大きな日本国旗が見えた。当時、どんな風景だったのだろうか、阿国は何故にこの地を捨て放浪にでたのか、なんて思いを馳せて参りをした。今思ってもあまり効用はなさそうだが、まあ役者、芝居ってのは、個人の心意気なところが大きな要素だから、参ったぐらいではね、そんなうまくなれるわけないかあ。
帰り、足立美術館に立ち寄った。横山大観の本物の絵が多数展示してあった。その迫力たるや「美術愛好家が一番行きたい美術館連続10数年一位」であるだけの内容であった。
創られた美術館の気がしたが、もっと純朴素朴であったらいいとおもったが。なぜなら田圃の真ん中にあるだけに。芝居っていう言葉から、島根まで飛んでしまった。(J)