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俳優のノート(4)

いよいよ山崎努のリア王も本読みが始まり、周辺の役者もみんな自分で訓練を積んできている。プロの世界の本読みとは、発声やらイメージ創りや舞台の上下(かみしも)の位置での動きなどを自らがイメージングしての本読みであり、多くの予習をしてきているうえでの本読み、我々のように、演出が一から十言わないとわからないような本読みでは決してない。職業なのだから。だからこの「俳優のノート」(実はこの本の監修は伊丹十三がやったと、彼、伊丹が自殺したあとに、山崎が本の中であかしている)は、リア王が上演される本番までリアルタイムに筋立てたって劇的に書かれているので、プロの役者が、それも主役が、それもあの名優と言われる山崎が、どのようにのたうち、どのように周りとの調和を図っていったのが手にとるように書かれている。興奮する。じっくりと創造を楽しめるのだ。

そしてこの本読みのシーンでは

…全体に他人のせりふが終わってから改めてスタートして自分のせりふを言うという感じになっていて気持ちが悪い。リアクションが大事。他人のせりふをよく聞けというが、あれは嘘である。

よく聞いていたのでは遅いのだ。聞いてからリアクションするのではない。聞きながらリアクションするのだ。いや聞く前にだ。卓球の選手のように相手の先を読み瞬時に球に反応するのだ。まだまだ今の我々は温泉場の卓球だ。お正月の羽根つきだ。

と書かれたページがある。本読みの感想だ。あれっ?これって今立ち稽古の我々の芝居でも日常茶飯事やってることだ。一昨日も、演出から言われたし、毎回「人の話を聞いていない」とよく言われてる。プロの世界では、そんなことは百もできていて、この文章はその先を行ってるのだ。

そしてこうも書いている。

せりふを言いだす前に無意味な間をとる俳優がいる。おそら気持ちを大事に溜めているのだろうが、これもイエローカード。ボールがどこにあるのかわからなくなってしまう。芝居が止まってしまう。(事実よくある)何によらず、自分は「間」をとることが嫌いだ。「間」をとらずに、音色やテンポ、リズム(ということは、無音の状態で身体でリズムやテンポアップ的なリアクションをするということか)で変化をつけてゆくこと、これが自分の演技をする快感。感情のアクロバットを見せる快感。(少しわかる)

と書いている。確かに山崎努の「ザ商社」や「価格破壊」などの映画をみてても他を圧倒している。だから余計に印象に残るのだ。彼、山崎はこの文章の中で、最近の舞台や映画みていてもいやにおばあさん顔をしたおじいさんが増えていると云う。あの野性的な顔をした爺さんや親父がいないというのだ。

(私はどうだろう?どうすればいいのだろう?基本的な顔の表情、せりふのない場合の顔の表情、どっちをとるべきだろう?自分のベースはどちらなんだろう?考えてしまう)

この「俳優のノート」は本当に多くの示唆に富む。同時に共感を呼ぶ。しかしやっと共感できる部分が増えてきたというところだろうか。数年前なら「何言ってるのかわからん」と平気で言ったろう。

だから、益々面白くなってきた、今度の芝居「葬儀はキャンセルできない」で父親役を生きる芝居が、本番が。怖いが楽しくなってきた。まだ6合目ぐらいにいるのだろうが、あと4合登る行程が楽しみである。(順平)

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