通し稽古(1)

May 2, 2019

昨日、通し稽古、意外に通るじゃないか、が最初の感想。だけど演出は不満のよう。

 

思うに、ポイントは

①テンポとリズムが悪い


簡単にいうと、「テンポ」は速さ、「リズム」は規則性ということで
「テンポが速い曲」というのは、つまり「1拍の取り方が早い曲」であり、「リズムの早い曲」とは言わない。

一方、「リズム感がよい」というのは、そのリズムにのるのが上手い、または、人がのりやすいリズムを創作・表現できる人のことです。

 

それから言えば、自分のリズムとテンポだけを大事にして、相手と協調できない人は芝居には向いていない。またテンポは遅速だから、急に早くなってもそれに対応できる、遅くなっても合わせられる、そういうことが芝居の流れの中に度々訪れることに、自由自在に合わせて創れるひとが芝居に合っている。

さらに、自分で芝居の流れを創ることができる人が「役を生きてるうまい役者」といえる。なぞってる役者、たびたび演出より注意だしを浴びる役者は今はその対岸にいることになる。

 

リズムでは高等技術になると、敢えてそれを壊す、破調にする、規則性ばかり意識して、句読点のあるごとにまるで校長先生の挨拶みたいに無味乾燥なしゃべり方をする人がいるが、なんの感動もおこさない、朝礼で校長さんが何言ったかいつも覚えていないように。破調、これは大事なリズムなんです。

 

よく小森演出のダメだしで「そこを早く、そこを高く」とか「全体が遅い」「間がわるい」「なんでそんなに沈んでいるの?」とか言うが、あくまで演出は客観的にかつ全体の芝居のもつ流れを常に大事に視ているのでそういう発言になる。

むしろ使える役者とは、その演出の考えていることよりさらに高度なレベルの表現を表出する役者のことと私は理解しているがどうだろうか?なかなか難しいが。

 

②一歩の出だしが遅れる

セリフいうとき、息を吸ってセリフをいう、これは日常では普通。正しい息の使い方。

でも芝居では間違い。正しくは息を吸って溜めて待っているものなの。

自分の番が来て吸うから遅れるのです。泥棒捕まえてから縄をぬうてる人が何人がいる。だから演出が「おそい、おそい!!」といらだつのです。

 

③発見がない

なぞっていることだけ…「俳優のノート」山崎努の文章の中に、「我々は声の調子や感情の流れなど、うまくいったところをなぞろうとしてしまう。手がかりに拘り、なぞった瞬間、演技が演技もどきになってしまう。我々は毎日白紙の状態で演技しなければならない。きのう描いた絵はきのうのもの。どんなにうまく描けた絵でも捨ててしまうこと。毎日新しいキャンバスにその日の絵を描く、役者はそれが大事だ」と。

 

私はよく会社で「発見と納得のある本、体温を感じる情報誌を創ろう」と言っている。

観に来た芝居に体温も発見もなく、昼寝しに来たような芝居、観たいと思いますか。ここは演じるものが、創るものが謙虚になって、いかに感動をもって帰ってもらえるかを各人が考えないといけない。そのためにも、出来る人はさらに、できない人はできるまで個人で稽古しつづけるしかないと。

 

くれぐれも大事なのは、「俺は、まあまあ出来ている」と錯覚して、真剣に稽古しないことだ。

 

昨日の稽古でも、稽古の段階で、笑ってしまうある人の動きとセリフがある。その人は舞台経験なんてほとんどない人、そのいろいろ考えて来ている勢いが回りの稽古人を感動させる、一方、同じように同じことだけ繰り返す人がいる。なんの感動もおきない、だから演出もダメだしの仕様がないのだろう、諦めている感がある。つらい。 (順平)

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