葬儀の跡に花を咲かせたい

May 30, 2019

ブログ久しぶりに読んでみると、制作部長の乾宏昭がやたら好き放題なことを書いてる。まあ、的も得てるし許せる範囲だと思いながら、いささか物足りないので追加補修しておきたい。

 

宏昭は、かっての仕事仲間、よく気が付くし任せた仕事はなんとも最高に仕上げてくる。だから自分で仕事やってもおそらく高いレベルの仕事をする奴だと思う。

だいたいの人間は「これでいいですか?」とか「この先どうすればいいですか?」とか聞いてくるのがいるが、実はこの程度で仕事できてると思う人間は死ぬまでさほどの仕事できない。家では「おれはこれだけの仕事したんだあ」とか、友人と酒のんで「まあ、俺はここまでやって周りから一目置かれてたと思う、自分でいうのはなんだけどなあ」なんて言いながら自慢たらたら、多い、こういうのが。どうでもいいんだけど、こういう奴は。でもこの宏昭はなんにも言わなくても「やっときました」「次はこれやりますから見ておいてください。」とだいたい言う。これ分かりますか?それだけ人間的レベルが高いということをいいたいのです。

 

そして、「葬儀キャンセル」終わった。もう私は来年に向ってる。

過去6年やってきた。

1年目、何も知らず思い込みだけでやった、評価得られず。惨敗!

2年目、これも無手勝流にやった、少し手応え感じた、粗っぽいが役者にすごく新鮮さを感じた客の反応は良かった。「那須さん」という役者を発見した。

3年目、これも手探り、まあまあ、客は面白かったというが分かってる人は少ない、込み入った話ができないで終わった。

4年目、新しい発想、芝居とはなんでもできるんだあ、むしろそうしないと面白くないし、役者だけの芝居になってしまう、だから装置や発想や芝居の持つ多様な面を活かした芝居、まあまあ、いい芝居だった。東京でも好評の芝居。ちょっと借り物的であったが。

5年目、これはどっこい、劇団ぷらっとのいう歴史では荷の思い芝居だった、でもやった、おそらく60点ぐらいか、そんな芝居、観客は980名という過去最高、でも芝居は中級か。

6年目、台本は中ぐらい、化粧して中の上までもってきた、いかんせん、装置も音響も照明も過去最高だと思うが、役者が中以下、此処だと思う今後は。演出の勝ちかと思う。

 

実は、田舎劇団のもつ哀しさがここにある。

かって、道化座をつくり、劇団神戸をつくり、そして最後に逝った夏目俊二さんがあるレポートを残している。田舎で東京に負けない芝居をつくるには、プロデュース公演しかない。

一つの劇団でできるものではない。おもしろい役者を集めて一本の最高の芝居をつくる、私は神戸でそれをつくりたい…と。  ※そのレポート、小倉あんこさんが持っている。

 

劇団ぷらっとをやってきて思う、まさに同感だと。会社、いわゆる経営の三要素は、人、物、金、である。事業をおこし運営している人間は金科玉条のごときの思いでこれを実感している。そう、「人=役者」なんだと。では役者ってなんだ、と問われると即座に言えないが、山崎努氏の「俳優のノート」に書かれている、「俳優とは自分の人生における生ける課題を知ったうえで、克服しようともがきながら演じられる人、のことだ」と。

 

わかりやすくいえば、人がもつそれぞれの課題、それを克服する努力を生身で見せながら自分の役をこころから愛し演じられる人」ということになろうか。

 

そして、来年の7年目、どんな芝居に出会えるだろうか、田舎の劇団といえ、「人」がしっかりできれば中央に負けない感動を呼ぶ芝居は可能だろうと信じている。もう台本捜しをしている。昨日と今日とで2作読んだ。

 

これで制作乾くんの総括とは違ったが、順平の総括としたい。

 

今、心底、芝居を真剣に取り組みたいと、思い願っている。中途半端ではやりたいくない。

できれば「来年、一緒にやりたい」と、覚悟ある人は言って来てほしい。(順平)

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