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森繁久彌コレクション

今日、手元に来た「森繁久彌コレクション」

先週、朝日新聞に「森繁久彌コレクション全5巻」が発売されると記事が載った。

会社のすぐ近く、垂水センター街にある「流泉書房」の店長に予約入れる。

そして今日、635P の第1巻「道ー自伝」がここにある。

結婚してすぐの頃、神戸文化大ホールで「屋根の上のヴァイオリン弾き」を観た。

感動のあまり客席を立てず、カーテンコールが20分、何度も何度も役者さんが

出たり入ったり、舞台の前部にどんどん薔薇の一輪が積み上げられていく。たくさんの舞台(主に芝居)を観たが

こんなカーテンコールはかってなかったし、今もない。その真ん中に森繁がいた。

私は、この森繁や渥美清という場末のストリップ劇場の前座や商業演劇の

役者を、いくらおもしろく大衆に受けていても「芸術」という世界の芝居の役者としては、若い時から認めていなかった。すべては劇団民芸、俳優座、文学座などがその中心にいて、役者も基礎からたたき上げたものしか

認めなかった。例えば宇野重吉や杉村春子、緒方拳(新国劇出身ではあるが)、言うならばギャグを飛ばし客受けばかり狙ったような舞台がなんで新劇なんだ、とうそぶいていた。多くはそうだったろうと思う、カタぐるしい理屈ばかり述べる役者くずれは。

それが社会にでて人を多くみて人と接し、人間を意識する仕事について、方向性が変わった。むしろ体温を感じ、人間を感じる演技や人間を表現する役者に魅力を感じるようになった。それが森繁や渥美清なんだが、今、再度この森繁さんの足跡をたどることで、もっとしっかりした演技ができ、今まで生きてきた人間としての自分の在り方をベースに置いた役を表現できるように、勉強したいと思った。

今度の「キッスだけでいいわ」の役もどんな役であろうが、再度出直しのつもりで臨みたいと思っている。

それとどうも芝居のこと、あまりわかってないのに、わかった風に断定的に言う自分の浅はかさは、あらためて考えなおそうと思う。たかが68歳、それにたいした芝居なんかやってないのに、さもベテランのごとく、これこそ汗顔の至りである。

断定的にこの芝居を語る、正解のないこの演劇という世界を、浅はかな知識や技術で、偉そうに語る愚かさを止そう、むしろ、そうですか?なるほど、という言葉から始まる稽古の姿勢が正しいのだと。断定がもともと作品にブレーキをかけてるんだと切に思った次第。初めて芝居に臨むあの頃の自分にもどろうと思う。

世の中、偉い人が多すぎるような気がする。(順)

 
 
 

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