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「12人の怒れる男」と「友達」と…

「葬儀はキャンセルできない」について、役者からの一つの解釈

この作品について、作家北野ひろし氏はまずどこにモチーフ(その芸術表現をする着想)を置こうとしたのだろうかと考えてみた。後半なかなか難しい会社がいま稽古でも飛び交っている。関わるものが一つの方向性に纏まらないと作品が完成しない例は枚挙に暇がないからだ。そこで今気になる作品がある。今年の劇団ぷらっとの公演作品選択で偶然に読んだ好きな作品と「あれっ?なんか一致するところがあるなあ」と気づきだしたことから、これは暴論かもしれないが参考に(いや、混乱させてしまうかもしれないが)書いておきたいと思ったのだった。

それは、映画「12人の怒れる男」と阿部公房の名作「友達」である。

【十二人の怒れる男のあらすじ】

スラム街の少年が父親をナイフで刺し、殺害したという事件を審議するため、無作為に裏ばれた12人の陪審員たち。有罪の評決が出れば、少年は死刑になることが決まっています。12人の陪審員が部屋に入ってくるところから始まります。「スラム街の奴だぜ?証拠も証言もある。有罪に決まっているじゃないか。さっさと終わらせようぜ」という雰囲気の中、一人の陪審員が「無罪」を主張します。評決は全員一致でなければ終わらないため、他の陪審員は冷たい目を向けます。しかしその一人は、客観的に見た意見を述べ「疑わしきは無罪」を主張します。ただ「疑問があるから、話し合いたい」「確たる証拠がないから、有罪とは決められない」という論理で、他の11人の陪審員と対峙していきます。議論を重ねるうちに、次第に他の陪審員たちも納得し、自分の判断で意見を持つことをし始め、「無罪」と主張する陪審員たちが増えていきます。自分自身が納得できる意見を持つことの大切さと、納得いくまで議論し尽くすことの素晴しさ。民主主義では「当たり前」とされていることを改めて描いた作品です。

【阿部公房「友達」のあらすじ】

夜の都会。奇妙な9人家族が「友達のブルース」を歌いながら、愛と友情を届けるために一人ぼっちの孤独な人間を探し、ある一人暮しの男のアパートを訪ねる。 彼らは、拒む男の意向を無視して部屋に闖入した。男は、不法侵入だと警察に電話をするが、管理人や警官らにも信じてもらえず、一家に居座られる。出て行ってくれと頼む男に対して、一家は、様々な屁理屈で応酬し、多数決の「民主的な」ルールを押し付ける。彼らは、男の婚約者や彼女の兄も、うまく言いくるめてしまい、男はそのまま一家と同居を続けなければならなくなる。

半月が経ったある晩、長女と男が一緒に寝て何か相談しているところを、次女が発見する。男が長女に誘われ逃亡しようとしていたことを、次女は他の家族を呼び報告し、男は弁解も虚しく罰として玄関の靴箱の檻に入れられた。食事係の次女は、憔悴している男に牛乳をすすめ、男がそれを飲む干すのを見届けると、檻の錠前の鍵をあげると言った。男は喜んでそれを受け取ろうとするが、突然震えが激しくなり、恐怖にひきつれて動かなくなった。次女は男の死の間際に、「さからいさえしなければ、私たちなんか、ただの世間にすぎなかったのに……」とつぶやき、檻にそっと毛布をかけすすり泣く。

次男は次女に「なんだ、おまえ、またやってしまったのか!」と言うが、「しょうがねえなあ……」と、平気で引越し準備にかかった。父が、「故人は常にわれらが良き友でありました」と哀悼を述べ、一家はハンカチを振ってアパートから出て行進し、笑い声を響かせながら去って行く。

■もちろん、この2つが下書きになってるわけではないが、「葬儀はキャンセルできない」の30ページにある叔母のセリフ「そういや…、こんなもん、ありましたなあ、十二人の怒れるなんたらちゅう映画」というセリフ、最初から気になっていた。そして今回それが符号したのだった。多数決の論理、民主主義の基本、「決」をとること…

そして後半、どんどん夫は家族や同僚からも「無視」されつづけていく、人間社会からの存在の無視は「死」を意味する。社会から隔離され無視されることは存在自体の抹殺(27ページの夫のセリフ:上岡、お前は暗黙のうちに俺を抹殺する気だな…というのがある)を意味するのである。昨今の子供たちの世界にある「いじめ」と同様に。

実は昨日の稽古で、後半の最後あたり、息絶え絶えの夫を創って言ってみたのです。(65ページ)「俺は俺だよなあ」「そうだろ、俺は俺だ」「お前たちは、俺がいなくなっても本当にいいのか?」に、上岡が「それは…自分で決めてください」さらに娘が「命日には皆で集まりましょう」とみんな晴れやかな顔で言うのである。

友達の後半のもつ空気感に似ているような気がしてならないのです。

この作品、浅いかな?と思っていたのが意外にも深いかな?と。それでいえば、一度変えた72ページの妻のセリフ「あれは、ハプニング(偶然の事故)」は元のセリフ「あれは、アクシデント(恣意的な事故)」に戻すべきだと思ったのです。もしこの台本が70点であれば、あとは演出と役者たちのアンサンブルで20点足して90点の芝居にもっていかないと、あの演劇界に燦然と輝き残る退場通告の名セリフ「つまらん、金返せ!!」と言われかねないと思った次第です。順平の一考察でした。(1月27日(日)午後3時)

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